顔写真 いまをいきる
曽和利光
元オカルト少年。現リアリスト。しかしロマン派の29歳。祖父と一緒にUFOの目撃経験あり。
仕事は怪しげな人事関連のコンサルティング。 将来は坊さんになりたい、仏教ファン。
「昨日や明日のためでなく今を生きる」を合言葉に、 刹那的に飲み歩く毎日・・・たぶん今日も二日酔い。
 


第26回・市場価値と逆張り人生


某R社の就職雑誌に「金融業会で市場価値を高めるうんぬん・・・」という本があるが、ぼくはこの「市場価値」という言葉がどうも好きではない。
新卒学生が「自分の市場価値を高めることができるような会社に入りたい」と面接などでよく言うのを聞く。でもこの「市場価値」っていったいなんだろうか。

字義どおりに考えると「市場によってつけられた値札」のことだ。市場は何によって値札をつけるかと言えば「需要と供給」の関係だ。欲しい人が多いものは高く売れるし、在庫の少ないものも高く売れる。ただそれだけのことである。
で、思うのだが「それが目標になるのだろうか?」
そりゃいい生活はしたい。高い給料もらっていい暮らしをしたい。普通の当たり前の願望であると思う。だから「願わくば」自分の市場価値が高くなることがあればなあと思う。
しかし、それは「目標として頑張る」ことではなく、運不運、時流によって左右されがちなことではないかと思うのである。

例えば、システムエンジニア(SE)という職業はちょっと前までは結構みんな市場価値が高かった。なぜかといえば需要(急激なIT化や2000年問題などの時節特有な理由により)が多く、供給が少なかったからである。
ところが最近ではSEだからと言って高い年収をもらえるわけではなくなってきている。それは、SEが市場価値が高そうと思って多くの人がその業界に乗り込んで供給が多くなってきたことと、IT化の波がある程度落ち着いてきているからである。SE間の能力格差等々いろいろな原因はもちろんあるが、本質的なことはこの需要と供給の関係である。

そういうことに左右されるような「市場価値」だけを目標にして仕事を探すというのはあまりぼくは好きではない。
もちろん上記のようなことを言う学生くんはおそらく市場価値=実力ぐらいに思っていると思うので、そんな揚げ足を取るような物言いをしなくてもいいと思うのだが、あまりに市場価値という言葉が市民権を得るにつけ、市場価値嫌いなぼくは文句を言いたくなってしまう。

経済のことは素人なので、与太話をお許しいただきたいが、最近市場万能主義がまかり通りはじめているように思う。
公正な取引ができるような市場さえあれば、市場の見えない手によってよいものが残りだめなものが去っていく。
ほとんどは正しいように思うが、市場によって捨てられるもの=需要・供給バランスによって付けられた価格によってはそれを生産することが困難な製品・サービスが本当に人類にとって不用なものばかりだろうか。
流行は気まぐれだし、時を経て復活するものもある。市場という化け物の力で何でもかんでもぶっ壊した後で、「ああいうのもよかった」と嘆いても遅いのである。

市場価値に基づいて人が職業を選ぶようになるのはある意味当然だが、市場価値は低いが自分が好きだからこの仕事をしたいという動機を持てる人が多くなればなあと思う。今人気のなく市場価値低いとしても、もしスポットが当たれば、供給が少ないが故に市場価値もついてくるし。
逆張り人生もいいものだ。人気企業・職種にも寿命があるのだから。




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