顔写真 いまをいきる
曽和利光
元オカルト少年。現リアリスト。しかしロマン派の29歳。祖父と一緒にUFOの目撃経験あり。
仕事は怪しげな人事関連のコンサルティング。 将来は坊さんになりたい、仏教ファン。
「昨日や明日のためでなく今を生きる」を合言葉に、 刹那的に飲み歩く毎日・・・たぶん今日も二日酔い。
 


第11回・間接キス・ワールド


 人間には直接触れていないものを直接触れていると感じることができる「能力」がある。
 人間は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という5つの感覚チャネルから外の世界の情報をつかむのであるが、単に感じたものをそのまま受け取るのではなく、頭の中で情報を再構成した外界の中に生きている。その際、本当は単なる情報源に過ぎなかったものを自分の感覚器として取りこんでいる。対象と自分の間に挟まった障害物を自分の中に同一化し(なりきり)、あたかもその先の対象に直接触っているかのような感覚を持つのだ。

 例えば、シャープペンシルを手に持ってペン先で机をつつけば、自分が机をつついているという感覚を持つ。本当はその人が受けた感覚情報は、シャープペンシルを持つ手に伝わる圧力だけなのだが、実際に机をつついている感覚となる(やってみればわかる)。言い換えれば、その時シャープペンシルは自分の手の一部となっていると言える。
 よくある面白(?)実験だが、冷たい水を入れたビニールを外からさわると、あたかも水そのものにさわっている感覚が生じる。濡れた感じがしても、手を離すと何もない。
 また、よく車に乗っている人は車の右後輪が石を踏んだらわかるそうだ。本当は車のシートから感じる微妙な圧力や揺れを感じているだけなのだが、実際にはそうとは感じずに、タイヤの気持ちになっている。これも車が自分の一部の器官となっている例と言えよう。
 社会的なことから例をあげると、満員電車で本人の同意なく体を触った人は痴漢と呼ばれるが、本当はその人は単に服を触っただけであったりする。しかし、当然そんな言い訳は通用するわけもなく、体を触ったものとして処罰される。(変な例ですみません)

 こういった人間の能力を「感覚の延長」とか「感覚器の拡張」とか呼ぶことがある。この能力があるからバーチャルリアリティのゲームが成立する。しかし、これはゲームの世界だけではなく、いわゆる現実世界すべてにあてはまることである。なぜなら、本来すべての感覚は脳で起こっているはずだからである。脳は目、耳、鼻、舌、肌等を通して集められた信号のみを実際は味わっているのに、あたかも脳が感覚器になりきっている。表象は脳で生じているはずなのに、感覚器に存在しているように思える。脳と外界の間には感覚器という障害物があるので、本当の外界などには触れていない。結局は脳が勝手に解釈した世界に生きているだけだ(ぼくが「現世は夢」と言うのは、そういう意味なのである)。

 人間は黒いゴムで全身を覆われて生きているようなものだ。本当の世界にはけしてふれることはない。ただ、そのゴムを通して世界を感じたつもりになれるだけである。人間は全員「引きこもり」で本当の存在には触れることなく生きている。それは「間接キスや!」と好きな女の子の飲んだコーラのビンを回し飲みしただけで騒いでいる小学生となんらかわるところがない。世界に直接キスをすることは不可能なのだ。ああ、キスしたい・・・。




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