顔写真 いまをいきる
曽和利光
元オカルト少年。現リアリスト。しかしロマン派の29歳。祖父と一緒にUFOの目撃経験あり。
仕事は怪しげな人事関連のコンサルティング。 将来は坊さんになりたい、仏教ファン。
「昨日や明日のためでなく今を生きる」を合言葉に、 刹那的に飲み歩く毎日・・・たぶん今日も二日酔い。
 


第8回・好きになる力


 本来は何に対しても愛情深いつもりでいるのだけれど、最近好きになる力が減退してきているように思う。(女性は別・・・)周囲を見ていても、世の中の何でもかんでもがどうでもよいと思っているような人も多いように見え(偏見かなあ)、その人たちの好きになる力の低さを感じる。世界的な現象なのだろうか(大げさかなあ)。

 子どもの頃(つい最近まで)はいろんなものをすぐ大好きになって、目をきらきらさせてそれらを眺め、よだれを垂らしてしまうぐらい我を忘れ時間を忘れたものである。「魅入られる」ということ自体が快感で、もうどうしようもないぐらい好きになって、いろいろなものを犠牲にしながら、その好きさを世の中に証明していくことがとても心地よかった。大金をはたいたり、朝から並んだり、ずーっと待ちつづけたり、つらいことに耐えたりというようなことは、一般的には出来れば避けたいものであるはずなのだが、そんなにまで好きな自分をみんなに伝えたくて、喜んで行っていたように思う。逆に、好きなものに対して自分の何かを犠牲に出来ない場合、自分の好きさを証明できずに、やたら気持ちが空回りしたものだ。対象に何か(事故等大変なこと)起こってくれたら、自分の好きさの度合いを(それに対するフォローで)証明できるのに・・・とかさえ不謹慎にも思っていた。

 それが、最近はあまりものを好きになることができなくなった。昔は中日ファンだったが、今はエースが誰かすら知らない。競馬もビワハヤヒデなど名前が面白くて大好きだったけど、今は馬に興味はない。Jリーグ発足時には、あえてどこかを応援しようと意気込んだけれど、結局どこにも肩入れするチャンスを失って今に至っている。考えてみれば、それらのものたちはどうでもいいと言えばどうでもよく、好きにならないでもまったく問題はないのが、好きになれないと応援できず、応援できないと見ていても全然面白くない。当然だが、やはり好きなものでないと興味が続かない。興味が続かないとつまらない。つまらないと人生に張りが出ない・・・。そう考えると、好きになることは一つの能力で、「好きになる力」があればあるほど世の中は自分の好きなもので満たされ、幸せ一杯の人生を送れるということじゃないかと思う。

 世の中から好きなものが無くなったら、人生がつまらなくなってしまう。特に人に対しての「好きになる力」はできるだけ減退しないようにしたい(今は全然大丈夫。人事系の仕事やってる人間がそれを失ったらお終いだし・・・)。カラオケなどで「I Love You !」とさんざん歌っていながら、何も誰も愛していない自分に気づき愕然とするというような状況だけには陥りたくない。そんなんでラブソングを歌ったとしても、何も心にこみ上げず全然面白くないことであろう。



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