顔写真 いまをいきる
曽和利光
元オカルト少年。現リアリスト。しかしロマン派の29歳。祖父と一緒にUFOの目撃経験あり。
仕事は怪しげな人事関連のコンサルティング。 将来は坊さんになりたい、仏教ファン。
「昨日や明日のためでなく今を生きる」を合言葉に、 刹那的に飲み歩く毎日・・・たぶん今日も二日酔い。
 


第2回・超能力者の孤独


 何者かの陰謀によってもし、あなた以外の人間の鼻細胞が焼ききられ、世の中に「におい」を感じる人間があなた一人になったとしたら、あなたは超能力者と呼ばれるであろう。
 例えばあなたは、中身の見えない箱に入った食べ物が何であるかを当てることができる(「その箱に入っているのは──ニンニクたっぷりのギョウザである!」)。また、遠くで誰かが焼き芋をしているのにも気づくであろう。もちろん他人のすかしっぺがわかるのは世界で唯一あなただけだ(においのない世界では、すかしっぺは特に迷惑な行為でもないが)。例に品がなくてまことに申し訳ない。

 こんなとき、「におい」を知らない人に対して、あなたは何故それらを認識できたのかということを説明することができるだろうか。「におい」を感じない人は、あなたが物に鼻を近づける行為の意味を理解しないし、あなたが感じている「におい」なる表象があるなどということすら想像がつかない。「嗅ぐ」「香り」「くさい」等々の言葉もことごとく意味がわからないものとなってしまい、使えない。
 消臭の努力など誰もしないだろうから、「におい」は世界に充満し、あなたは苦悩することになる。だが、その苦しみを伝えることも、理解させることもできない。あなたは、一生「におい」に包まれて生きるが、それを他人に伝えるすべがないまま、自分の中に秘めておくしかないことになる。

 もともとの五感以外に未知の感覚があってもおかしくはない。渡り鳥は磁力が「見える」ので方角がわかるとか、ガラガラヘビは相手の体温が「見える」という話も聞く。人間は皆独特の感覚をいくつも持っているのだが、そのうち最大公約数的に絞られたものが五感と考えるべきかもしれない。しかし、もし自分の中に強烈な第六感を感じてしまったとしたら、誰にも理解してもらえないという「超能力者の孤独」を十二分に味わわされることになるのである。

 他人とわかりあえないのは、コミュニケーション不足だけから来るのではない。「絶対に」「原理的に」「一生」わからないこともあるのだ。ぼくのあなたへの思いは絶対に伝わらない。ぼくの快感はあなたへは一生伝わらない。たった皮膚一枚であっても、それを越えてあなたの中へはどうしても入っていけないのである。

 このようなことを考えるとき、ぼくらがわかりあえているということのほうが、実は奇跡なのではないかと思ってしまう。ぼくらは、「超能力者の孤独」を認めたくないがために、お互いに口裏をあわせて、うなずきあっている。この「孤独」を受け入れることができれば、人は超能力者になれるのかもしれない。




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